suketti1206’s blog

ひだまりスケッチが好き 情報を与えるより、キッカケを与えることを目標に頑張っていきたい

承認欲求の度合いは、自分を潜在的に信じているか、信じていないかによって決まる(努力したい!人向け)

今回の記事の目的

今回は、SNSに囚われて自分の時間がないなぁと言う人の助けになればいいなと思い書いています。なので、承認欲求で創作意欲を掻き立ててると言う自覚がある人は、聞き流し程度でいいと思います。

自分を信じた上で客観的評価を求めよう

はい、昨日の自分と比較して、どっちが上かと言うのを本筋の比較対象としていって、客観的評価とは、本当の意味で他人の評価であると考えましょう。比較はして良いんです。個人レベルの比較なんてそんな配慮なんていりません。声高に歌われている多様性とは、比較をしなくていい所で無理に比較に持ち込むのはおかしくない?と言う心意気の呼びかけだけで、仕事や趣味程度の比較で自分の能力を上げていくことは、そこまで悪いことじゃないと思いました。

でも、客観的評価に従わないといい商品が生み出せない場合は?

大丈夫です。自分が面白い、使えると思ったことは、他人にもよく見える可能性が高いです。何故かと言うと、自分と似たような状況で、似た感性を持つ人間は、確率的に、母数的に存在するからです。その人1人の為に作品を作るでもいいですし、単純に自分のモチベーションにしてもいいと思います。まあ大ヒットを生み出したいとなれば話は別なのでしょうが…

自分が面白いと思ったものを開拓しよう

それが一番大事です。しかも、これは客観的評価に従って作品を作るときにも使えます。自分が面白いと思った要素をちゃんと切り分け、要素分解することは、絶対に他の作品に使えると思います。

それが、自分を信じること

そして、承認欲求を逃がしたことで余った創作意欲を最大限活用することだと思いました。この場合の承認欲求は、自分のしたくないことをして手に入れた欲求の方の話です。

精神的に辛いから脱出したほうが人生を長期的に見た時は優先したほうがいいんじゃないの

はい、自分を肯定したうえで、0から1の活力を生み出していける人間は、自分を肯定できなくてやっている人より強いし、臨機応変だと思います。

はい、ここまでで聞いて、「別に労力分他人に評価されてるわけじゃないしなあ」と思う人も居るでしょう。確かにそうですが、尖った技術には大体の場合、努力があります、なので、技術≒努力と捉えてもいいと思います。

 

じゃあ、承認欲求に引っ張られるのはいけないこと?

いえ、そうではなく、全人類そうしてしまうと、少数派が仲間が居なくて何か足りない状況になるぐらいなら、自分の感覚を信じる手も選択肢として持っておくべきだと思っただけです。今回の話の種は、nrさんと言うVTuberさんの人生観から着想を得ました。俺は、この思考法になってからは、自分にとっては、まあ辛いことももちろんあるけど頑張れるよぐらいに落ち着くことが出来ました。